2008年9月6日土曜日

評伝「ボブ・ブラウン:グリーン党の生みの親」

ジェームス・ノーマン(著)
丸田 浩 (訳)

目次

訳者まえがき
第1章 源泉
第2章 ボブ少年の誕生
第3章 問題児
第4章 ロンドンからリフェイへ
第5章 ペダー湖を救え!
第6章 渓流フランクリン
第7章 初の勝利
第8章 フランクリンを越えて
第9章 州の政界へ進出
第10章 グリーン党の誕生
第11章 連邦全体への波及
第12章 国際的なグリーン運動
第13章 初の「グリーン」上院議員

第1章 源泉

豪州のタスマニア州(島)の首都ホバートで、2003年2月に、地元の環境保護映画制作者による「森林」に関する記録映画が上映され、50人ほどの観客が集まった。場所は首都の中心にあるハリントン街から横道にそれたポール・トマス経営のチベット絨毯(じゅうたん)店の2階だった。ポールはボブ・ブラウンと既に8年ごしのパートナーだった。

ボブがその集まりに顔を出したのは、夜遅くになってからだった。というのは、豪州の首都キャンベラで、一週間ほどイラク戦争に反対する活動を組織していたからだ。ボブは映画に集まった小規模の観客に向かって、親しげに短いスピーチをした。

キャンベラでの活動による疲労の色を表わしながら、観客に手短かな忠告をした。
「聞いて下さい。もし、皆さんが全てに失望したと感じた時は、私が良くやるように、森の中で、満天の星空の下、一晩を過ごしてみて下さい。そうすると、多分、奇跡が起きて、また希望が自然に湧いてきますよ」
その言葉には、彼の単純さと不屈の魂がにじみ出ていた。

過去20年以上にわたって、ボブ・ブラウンは「グリーン」の旗をひるがえして、豪州政界のスポットライトをめざして、はっきりと野党の「左翼」を担う堅固な位置を確保してきた。タムマニア出身のこの柔和な話し方をする、眼鏡をかけた同姓愛の医師は、ほとんどポップスターなみの全豪的なヒーローを思わせる存在になった。彼の政策に反対する人々からも尊敬の目を集めていた。

2000年の総選挙で、2人の政治家が連邦議会でしばしば抜きん出て、有権者から注目と尊敬を集めていた。保守派を代表する首相のジョン・ハワードと革新派を代表するボブ・ブラウンだった。2004年の総選挙では、マーク・レイサムのリードで失地を回復した労働党(ALP)が豪州の政界地図を変えつつあった。レイサムが党首になって、まず提案した公約の1つは、なんとボブ・ブラウンと一緒にタスマニアの森林を視察することだった。

ハワードは、2007年の選挙で落選するまで、11年間もの長きにわたって首相を務め続けた稀にみる狡猾な政略家だった。ブラウンの個人的なカリスマ振りは、全く別次元のものだった。彼を尊敬する者にとっては、政治家一般に共通する攻撃的で競争心むき出しの姿勢と全く対照的な存在に見えた。

ブラウンの政治的スタンスは、確かに保守的ではなかったが、彼は色々の意味で非常に因習的な要素を備えていた。彼の保守主義は、その表面的なたたずまいにあった。着こなしが古めかしく、柔和に振る舞い、常にヒゲをきれいに剃り、人前で決して、他人を罵倒することはしない。しかしながら、彼が差し出す政治的献立は、民主的な革命だった。つまり、資本主義に対抗する持久主義、利潤追及に対する思いやりの政策だった。彼の穏やかな物腰にも拘らず、ブラウンは豪州を代表する真の革命家として、記憶されるだろう。

彼はしばしば軽いユーモアを交えて話をするが、いわゆる「町の顔役」にだけべったりな連中を批判するのに、決してやぶさかでない。彼は有権者の最新の関心事、しばしば地元の問題に関して、はっきりした政策の方向付けを試み、更に時の話題を何時も彼の最大関心事であるタスマニアの森林やより広範な環境問題に結びつけて議論を展開する。

環境問題(あるいはそれを越えた、例えば人権問題)に関する彼の思い切った発言は、彼の政治的キャリアを通じて、無数の受賞という形で称讃されている。1983年には、新聞「オーストラリアン」からその年の「時の人」にえらばれ、更に1990年には「1980年代の時の人」に。1990年には、ゴールドマン環境賞を、1996年にはBBCのワイルドライフ・マガジンの「世界で最も人望の高い政治家」賞、1998年には、豪州の人間国宝に選ばれた。

2002年には、DNAマガジンから、豪州で最も著名な同姓愛者のベストテンに、2003年には、豪州経済レビュー・マガジンから、「文化的に最有力な豪州人」に選ばれた。これらの受賞は、ボブ・ブラウンが様々な社会層で極めて人気が高く、かつ広く尊敬されていることを、如実に証明している。

彼の国際主義はそれだけに留まらない。ボブはグリーン党を今世紀の「有益な地球化」の原動力としようという、国際規模の野心を抱いている。つまり、過去の労働運動が果した役割に匹敵するような力、いいかえれば「労働党」に代わるべき「グリーン党」の国際的なパワーをめざしている。

しかしながら、彼の敵にとっては、ボブは狂信家であり、異端者であり、脅威であった。グリーン党が政党として益々力を得てくると、党やその党首であるボブに対する攻撃は、悪質を極めてきた。
ボブはしばしば、殴られたり、強迫を受けたり、人前でけなされたりした。2003年11月に、クインズランド州の自由党出身の上院議員ジョージ・ブランディスは、保守的な三文新聞「ヘラルド・サン」の論説家アンドリュー・ボルトの言葉を引用して、豪州グリーン党のイデオロギーをなんと1920年代から1930年代の「ナチス」になぞらえるという暴挙におよんだ。

政治的策略や狂信性をほのめかすそのような中傷や誹謗に対して、ボブは決してひるまなかった。
「私はそんな人物ではない。私は長老派のクリスチアンだからだ」と2000年に新聞「オーストラリアン」に語っている。彼はニューサウスウエールズ州の農村にある保守的な長老派クリスチアンの家庭出身であるという意味である。

ボブは政界に誠実さと尊厳をもたらし、さらに多くの豪州国民に対してラジカル(過激)という印象を与える世界感を導入した。彼はスキャンダルやあてこすりを武器に使って、彼を失脚させようともくろむ敵側の裏をかいて、タムマニア州議会および連邦議会での最初のスピーチで、彼自身が「同姓愛」であることを明言するという先手を打ち、敵側の攻撃を見事にかわした。

ブラウンのひととなりが多くの観衆を魅了した。そして、豪州の大衆は、一体何が「ラジカル」なのかを、もう一度考え直し始めた。彼は、従来なかった考え方も受け容れられる可能性を創り出した。以前は想像しがたかったことが、実は理屈に合う考え方であることを実証した。ボブがはにかみ屋で、むしろ古風な物腰だけに、彼が歯に衣を着せない勇敢な活動家であることを見つけて、人々は大いに驚いた。

ブラウンが豪州政界で日増しに重要な役割を果たし始めたのは、グリーン党が豪州政界で、抗しがたい勢力として成長してきた事実に符合している。

恐らく、グリーン党が豪州の野党内で、本質を突く唯一の党であるという評価を得たのは、実に2001年に発生した「タンパ事件」の最中であろう。ハワード政府は、船で豪州の海岸線近くにたどり着いた難民の一団が、豪州への入国許可を得んがため、豪州国民からの同情を買おうとして、意図的にその子供たちを船から海に放り出したと主張する一連のビデオ像をテレビで放映した。その放送を観て、多くの豪州大衆は難民たちに対して、呆れかえってしまった。そして、政府側が主張する「難民に対する厳しい措置」を支持する方向に世論が大きく傾き、ハワード政権は総選挙で、曖昧な態度を示した労働党を破って、大勝利した。

ところが、選挙後メディアを中心とする詳しい調査結果により、難民が子供たちを船外に投げ出したという政府側の主張には、(総選挙直前の) 世論工作を意図する行き過ぎがあったという事実が発覚した。政府側は、この事件後、ピーター・レイス国防相を内閣から免職せざるをえなくなったが、逆に(難民の側に立って、政府を厳しく追及した)グリーン党は、全国的にリベラルな有権者からの大幅な支持を獲得した。

この事件ほど、ハワード政府を非難して、極めて歯切れのよい意見を心から述べうる豪州唯一の野党であるという高い誉れを、グリーン党が得た例は外にない。グリーン党は、政府が自身の(批判の対象になっている)難民政策を合理化し、有権者の票を買うために、そこまで悪質なウソを捻出したことに亜然とする国民感情を、如実に代弁したのだった。

以後、以前にも増してしばしば、ボブは豪州のメディアから、ハワード政府に異議を申し立て得る信頼できる「野党側の実質的なリーダー」と呼ばれるようになった。この勇名は、環境政策問題を越えて、凡ゆる政治問題におよんだ。難民収容センターから対米外交問題やイラク戦争を含むテロ対策、更にハワード政府の右に寄ったその他の政策、例えばテルスタ(電々公社)の私有化、10%消費税や私的健康保険制度などに、ボブは一貫して反対意見を述べ続けた。

21世紀の初めに、米国のブッシュ政権によってでっち上げられ、豪州のハワード政府、英国のブレア政権、日本の小泉政権などにバックアップされた「テロ対策」路線は、世界平和への新たな脅威が無気味に拡大していることを示唆している(あるいはその路線自身が脅威の元凶になりつつある)。それは、前例のないメディアによって煽られた地球全体に渡る「テロの恐怖」時代を作り出した。(2001年)9月11日に仕掛けられたニューヨークの貿易センターおよびワシントンのペンタゴン(国防総省)に 対する(ハイジャックされた旅客機による)アタックは、その巨大な破壊力で、地球全体にわたって不安と脅威の風潮をもたらした。「イラク戦争」開始のために、ブッシュ政権が導入した「先制攻撃」路線は、悪質の新外交路線で、国連や欧州諸国の大半から嫌われるとともに、危惧されるに至った。

地球全体に前代未聞の混乱、恐怖、不安が広がるつつあるこの時期に、ボブは豪州の反戦運動のトップリーダー的役割を務めた。2003年2月中旬、豪州中至る所で、イラク戦争への豪州参戦に反対して、抗議集会やデモを企画した。彼はどこの集会にでかけても、演台にあがると、常に最大の喝采を観衆から受けた。それを評して、ある評論家が「ボブ・ブラウンの人気は、マイクロフォンの性能に無関係だ」と語ったそうだ。

ボブは「イラク戦争は豪州国民とは全く無関係の戦争である。それは、ジョージ・ブッシュやそれに尻尾を振るトニー・ブレア、ジョン・ハワードや小泉純一郎などの鷹派連中の個人的な戦争に過ぎない」と力説した。「国連の大量殺りく兵器(WMD)調査団により、実際にイラク内にそんな兵器があるかどうか調べる必要性がある」とボブは訴えた。

(ハワード)首相は一度も、豪州国民からイラクとの戦争に参加してよいという白紙手形を得たことはない。彼には国民の希望(意志)に背を向ける権威はない。彼は(その強引なやりかたで)自国の自由主義と民主主義を踏み躙ってしまった。我々は、差し迫っている大虐殺に「ノー」と訴えている世界中の無数の魂を代表している。我々は、イラクをただ単に(独裁者から解放して)自治国にしたいと望んでいるのに過ぎず、英米などの先進国に石油利権を提供する植民地にしたいとは、決して望んでいない(なぜなら、豪州国民は「地球温暖化の元凶」である石油や石炭に代わるべき、持続できる「きれいなエネルギー」源、例えば太陽エネルギーや風力エネルギーの利用をめざしているからだ)。従って、我々はブッシュに、ブレアに、ホワードに、そして小泉に、戦争の代わりに欧州的アプローチ(解決法)を吟味するように提案したい。

さもなければ、あなたたちは自らの手で、バグダッドに住む多数の子供たちに不必要な流血を強要し、世界中の希望を台無しにする結果をもたらすだろう。我々はもちろん、あなたがたをテロリストと同一視するつもりなどないが、バグダッドに住む母親たちは、あなたがたをどんな目で見るだろうか? 一度彼らの気持を訊いてみたことがあるだろうか? あるいはサダム・フセインと同様、あなたがたには、これらの母親の恐怖を感じとる繊細な感受性が欠けているのだろうか? 私はできることなら、ハワード首相を「ブッシュべったり」主義から、我々自国の大衆の声に耳を傾ける人にしてみたい。

上記にみられるブラウン独特の意見は、豪州国民全体の心をつかみ、政治家全体に対して抱く一般大衆の冷笑を断ち切ることに成功した。そして、豪州大衆の声や気持を、史上最大の反戦運動になった大規模な全世界中の集会に伝えた。彼がスピーチをやったメルボルンとシドニーの抗議集会を合わせると、合計50万人近い参加者があった。ボブは街頭でも人々の尊敬を集める代弁者の役をみごとに果した。

豪州の政界では、ハワードの保守連立政府ばかりではなく、肝心の野党たる労働党さえも、最近の世界的潮流となりつつある「中道右派」路線への傾斜に、さらに右へならえをしていた。強いて例外を探せば、ドイツのゲアハート・シュレーダーの社会民主党とグリーンの連立政府とイタリアのシルビオ・ベルスコーニの極右(ネオ・リベラル)政権だけが、いわゆる独自路線を歩んでいた。

ボブ・ブラウンは多くの人々にとって、社会正義、実践的な環境保護主義、よりよき世界へのビジョン(展望)の緊急な必要性を密接に結びつけるシンボルとなりつつある。彼は、一地方(タスマニア島)の活動家から、全国的さらに国際的レベルで環境保護運動をリードする「自由の闘士」に成長した非常に稀れな活動家の例である。

もちろん、我々がテレビを通じておなじみの環境保護活動家、議会でただひとり、難民の基本的人権やイラク戦争反対を強く訴えるあの「ボブ・ブラウン」像は、彼の人生の一側面に過ぎない。

メディア像は、例えば、彼がもつ(意外に)豊かな家庭的な側面を無視している。ピアニストの彼は、しばしば自宅で自らピアノ演奏を楽しむ趣味を持つし、彼の伴侶ポール・トマスとのロマンスによって、いわゆる「囚人生活」からの解放を楽しんでいる。彼は菜食主義者ではなく、食卓にはいわゆる「豆腐食」より、むしろ「ステーキと三菜」という豪州/英国風の伝統的なメニューを好むようだ。

その上、メディアの報道からは、ボブは前半生で、内なる悪夢にさいなまれて、首都キャンベラで医師をしていた頃、悩みを他人に打ち明けることもできず、混迷の末、自殺を一時考えたことや、52歳になるまで、他人と親密な関係に入ることなく、独身生活を続けたボブを想像することは、極めて難しい。その同じ人物が、驚くべきドンキホーテ的な変身を遂げ、今日我々が見る政界をリードする中心的存在になったのである。

ボブの内部に起こった私的な人格上の革命は、もちろん、彼の政界でのキャリアにおけるより広範な社会的革命を育てるために十分な素地を提供した。

メディアが作り上げた一次元的なブラウン像のみでは、彼が引き出したインスピレーションの源泉や、20年間近くにわたる議会での活動や、地元や国際的な各種の組織からくる際限なき依頼に応じるために、彼がたたき出す時間とエネルギーの源泉は、とうてい浮かび上がってこない。正にその源泉は、彼を取り巻く自然環境自体の中にあるに違いないと私は推察している。それは歴史的には、フランクリン川に始まり、北タスマニア地方の中央にあるリフェイ渓谷に彼が見つけ、現在でも住み続けている潅木地の一角を取り巻く森林と切り立つ岩壁に至る「聖なる原生林」である。それにボブは常に引かれ、それを保護するために、自分の後半生を捧げているのである。

連邦議会の不毛で退屈な現場から何万キロも離れた、自然界に立ち、ほと走る渓流や厳かな静寂に直に接して初めて、一体何が真にボブを動かしているかを、我々はよりよく理解できるだろう。

続く

http://happytown.orahoo.com/green-books/

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