2008年5月30日金曜日

ブッシュ批判本 『What Happend: 世論操りイラク開戦正当化』

http://www.tokyo-np.co.jp/article/world/news/CK2008052902013473.html

2008年5月29日 夕刊
 【ワシントン=立尾良二】マクレラン元米大統領報道官が来週出版する著書で、ブッシュ大統領のイラク開戦決定を批判。評判を呼んで予約が殺到しており、ペリーノ大統領報道官や元同僚らが二十七日、一斉に「なぜ職務にある時に言わなかったのか」と反発する騒ぎになっている。

 マクレラン氏は、ブッシュ大統領を「魅力的で機知に富み大統領にふさわしい人」と評した上で、イラク戦争を「無益な戦争」「戦略的に大失敗」と批判。ブッシュ政権は「真実を隠し、世論を操って開戦を正しいと思わせた」と内幕を“暴露”している。

 これに対し、ペリーノ報道官は「残念だ。われわれが知っているスコット(マクレラン氏の名前)ではない」と失望を表明。ダフィー元大統領副報道官は「大統領に便乗して有名になりながら、任期切れ間近の大統領をののしって金もうけしている」と非難した。

 マクレラン氏は、二〇〇三年七月から〇六年五月まで大統領報道官を務めた。出版する著書「何が起きたのか ブッシュ政権の内幕とワシントン政治の悪いところ」は二十七日、ネット書店(Amazon.com) のランキングで一位になった。

2008年5月28日水曜日

米国に代わるべき大国(Fareed Zakaria)

泥沼の「イラク戦争」に米国が手を染めて以来、戦後60年近く続いた米国の政治的、経済的繁栄に影が差し始めた。21世紀の世界を米国にかわってリードし始める大国は一体どこだろうか? 最近「経済的な大躍進」を続け、かつ世界の総人口の5分の1を占める中国だろうか? あるいはそれに次ぐインドだろうか? あるいは統合しつつある「欧州連合」(EU、総人口5億人で世界3位) だろうか? 60年以上君臨していた「米国ドル」は日増しに価値を失い、欧州の「ユーロ」が世界金融界の王座を今や占めつつある。

戦後60年間以上、米国という「大樹」の影に隠れて、あたかも米国の「植民地」あるいは「属国」のごとき振る舞いを続けてきた日本の政界や財界にも、来たるべき次の「大樹」をしっかり見極めるべき時期が刻々と迫ってきている。従来通りの「米国丸」追従一辺倒路線では、激しく躍動しつつある来たるべき世界の荒波を乗り切ることは今後、到底できないからだ。

著者は、米国丸の「沈没」を予測しているわけでは決してない。今後の世界に「米国独占時代」の終焉が訪れ、他の「複数の大国」が、それに代って、力を貯め込んできている事実を指摘しているに過ぎない。ちっぽけな「日本丸」のとるべき今後の針路にヒントを与えるかもしれない(「先見の明」のある)本として、特に政界や財界の指導者たちに、読書をぜひお勧めしたい。

なお「民主主義の未来」(邦訳、2004年)で好評を博した著者ザカリアは、日本の大衆にも既に馴染み深く、政治や経済に関する複雑な問題を、我々「しろうと」にもわかりやすく説明しうる文才がある。

もっとも、英文原書の実際のタイトルは、「民主主義」(Democracy)ではなく「自由主義」(Freedom)であり、「この2つを決して混同してはいけない」というのが、ザカリアの主張の1つである。従って、邦訳のタイトルは皮肉にも、その点で読者に当初から混同を招いているきらいがある。私自身は「自由主義」信奉者(リベラル)で、民主主義、特に日本の保守的ないわゆる「衆愚(民主)政治」に愛想をつかしている。数学の公理や定理の正否を、「しろうと」による多数決で決定するのは、大きな誤りだと今でも固く信じている。

2008年5月8日木曜日

お茶を三杯、ヒマラヤ登山家からの意外な返礼(Greg Mortenson)

米国の白人登山家グレッグ・モーテンソンはキリスト教宣教師の息子で、生後十数年、両親と共にアフリカ大陸最高峰キリマンジャロの山麓で少年時代を過ごした。

1993年に、エベレストに次ぐ最高峰「K2」に4人の登山仲間と一緒にに挑戦した。 しかしながら(遭難した仲間の一人を救出するため3昼夜を費やし、全員が体力を使い果たして)登頂を断念せざるをえなかった。消耗した体力回復のため数週間滞在(療養)していた、麓のパキスタンの (アフガニスタンへの国境に近い) 村で、予期せぬ運命が彼を待ち構えていた。

貧しい村人たちからもらった「三杯のお茶」に象徴される暖かいもてなしに報いるために、彼は米国に帰国する際、学校に行く機会がないこの村の学齢期の子供たちのために、将来、村に最初の学校を建てることを約束する。しかしながら、その口約束を守ることは彼にとって、容易なことではなかった。彼は財産家どころか、実は(「K2」登山で手持ちを使い果たし)ほとんど一文なしになっていたからだ。 彼はパートタイムの看護士をしながら、日々を細々と暮らしていたに過ぎなかった。

そこで、彼は試行錯誤の末、(ヒマラヤ登山家仲間)スイス人の実業家でマイクロチップス開発のパイオニアであるジーン・ヘルニ(1924ー1997)の助けを借りて、「中央アジア研究所」という財団を設立して、パキスタンとアフガニスタンの国境に接する貧しい村々に学校を建てる基金を集める活動に専念し始めた。そして、以後10年以上の間に、特に(イスラム過激派「タリバン」の影響で)学校教育から見放されている女の子たちのために、50以上の学校をこの山岳地方に建設した。

1953年に(シェルパ族のテンジンと共に)エベレスト登頂に成功後、山麓の貧しいネパールの村々に無数の新しい学校や病院を建てた故エドモント・ヒラリー卿(1919ー2008)の偉業に、いわば匹敵するものであった。「K2」登頂という個人的な夢には破れたが、それに負げず、(社会的により貴重な)新たな使命を自分の人生に見つけ出し、そのために懸命に闘い続け、ついに成功した感動的な実話ドラマである。

2006年に出版されたこの英文原書は目下、ニューヨークタイムズ紙のベストセラー・リスト (ノンフィクション部門) のトップになっている。この本の売り上げの一部は、「中央アジア財団」の活動費に当てられるそうだ。 もし、近い将来、邦訳の機会が訪れれば誠に幸いである。

http://en.wikipedia.org/wiki/Three_Cups_of_Tea

2008年5月6日火曜日

何を食べたらよいか? 自然に帰ろう!(Michael Pollan)

著者マイケル・ポーランは、カルフォルニア大学(バークレー)の教授(ジャー ナリズム専攻)。自宅に菜園をもち、自らガードニングを楽しみながら、食生活 の改善を試みている。豊かになり過ぎた欧米や日本などのいわゆる文明諸国では、 インスタント食品製造会社のテレビ広告やいわゆる栄養学専門家の書く本に踊ら されて、我々の祖母の世代が昔食べていたような自然の食物を余り口にしなくなっ てしまった。そのために、近来、肥満体とか「メタボ」の人間、糖尿病患者や癌 患者がいっぱい街に溢れ始めた。

著者は菜食主義ではないが、主に野菜や果物な どの植物由来の食物を偏食なく、腹八分目に食べることを強調している。長寿者 が多かった沖縄の例をあげながら、米軍基地の影響で、マクドナルドのようなイ ンスタント食品文化が蔓延し、近来、沖縄でも長寿者の数が年々減少し始めてい ることを指摘している。より健康で息の長い生活をエンジョイするために食生活 を「もっと自然に戻すべきだ!」という警鐘を鳴らしている。一読に値する本で ある。

ちなみに地元の米国では、この正月に出版されて以来、ノンフィクション 部門で、(ニューヨークタイムズ紙の)ベストセラーリストのトップの座を占め 続けている。

頂上からの展望 (Sir Edmund Hillary)

2008年正月明けに、ニュージーランド(NZ)の誇る登山家ヒラリー卿が米寿 (88歳)を全うして、この世を去った。彼の死を悼んで、6時間にもわたるテレ ビ特集がNZ中で放映されたと、地元(北島)オークランド近郊に住む友人(養蜂家) から聞いた。実は少年青年時代、ヒラリー卿は父や兄を助けて(家業である)養蜂業 に従事していた。 そのうちに、山歩きが好きになり、南島にあるニュージーランド最高峰のクック 山(海抜3754メートル、槍ヶ岳のように切り立った岩山)の冬山登山に 成功した。以後、登山が病み付きになった。数年後の1953年の春に、英国の エベレスト登山隊にスカウトされる。

1955年に出版された彼の英文自伝「High Adventure」 (内容は、彼の前半生:エベレスト登頂まで) で、ネパール出身のシェ ルパ、テンジン・ノーゲイと一緒に史上初めて、世界最高峰エベレストをいかに 征服したかが、彼自身の手で描かれている。「ヒラリー自伝」というタイトルで 1977年に、その邦訳が出ている。訳者は、同年「K2」征服に成功した日本 の遠征隊長 吉沢 一郎。

ヒラリー卿の偉大さはむしろ、テンジンとの友情から生まれた、エベレスト征服 以後の彼の後半生をかけた慈善事業、特に貧しいネパールのシェルパ山岳民族の 福祉向上をめざして「ヒマラヤ協会」を設立し、病院や学校や橋の建設をしたり、 エベレストや他のヒマラヤの山々に押し寄せる登山観光客による環境汚染をでき るだけ防止するための活動にあるだろう。1995年に出版された第2の英文自 伝「View from the Summit」は、「エベレスト」以後に始めた彼の新たなる挑戦 を綴っている。この活動の最中、彼の家族が悲劇に見舞われる。1975年に彼 の妻と長女が飛行機事故で、ネパールで死亡する。彼は生き残った長男ピーター (エベレスト登山家)と共に、悲劇に負げず活動を続ける。

世界七大陸最高峰の征服を成し遂げた若い日本のアルピニスト、野口 健は、 ヒラリー卿の活動に感銘/共鳴して、富士山やエベレストに堆積しつつある 「ゴミの山」の清掃活動に活躍している (ヒラリー卿の)「高弟」の一人である。 「山を愛する」とは一体何か、「地上最高の視点」から観たヒラリー卿の英知を 我々読者がこの本から学ぶことができれば、誠に幸いである。「地球温暖化 (汚染)」防止がまさに緊急課題になっている今世紀の「必読の書」といえるだろう。 残念ながら、欧米でベストセラーになったこの英文原書の邦訳は、なぜか日本では まだ出版されていない。

最後に、ヒラリー卿の魂が天上で(20年ほど前に他界した)無二の親友テンジ ンの魂に再会し、旧交を再び暖められることを、我々アルピニストは心から祈っ ている。

http://en.wikipedia.org/wiki/Edmund_Hillary

晩年はニュージーランドで養蜂業を営む。2008年1月11日に心臓発作により逝去。1月22日にオークランドにて国葬が行われた。

息子ピーター・ヒラリー2002年に、エベレスト登頂50周年を記念してテンジン・ノルゲイの孫、タシ・テンジンとともにエベレストに登頂に成功している。

このタシとその奥さんジュディーもベテランのヒマラヤ登山家で、豪州シドニーに永住しながら、あるヒマラヤ登山旅行会社を経営している。数年前、この夫妻が有名な祖父テンジンとシェルパ仲間のエベレスト登山史を出版した。その邦訳『テンジン、エベレスト登頂とシェルパ英雄伝』を我々が昌文社から、2003年に出版する機会を得た。海外からやって来た登山家たちではなく、地元の「シェルパ山岳民族」の目から眺めたエベレスト登山観が描かれている点で、ユニークな作品である。

さて最近、北京五輪の聖火リレー妨害や開会式ボイコット運動を巡って、世界中のメディアの話題になっている中国領内にある「チベット民族の独立あるいは自決」(自らの伝統文化と原始仏教の維持をめざす自治政府の確立)問題は、ネパールのシェルパ民族と密接な関係がある。実は、シェルパ民族は、元々チベット地方に住んでいた山岳仏教徒(チベット)民族であるが、数世紀前に農奴制度や貧困餓死から逃れるために国境のチベット・ネパール高原を越えて、比較的肥沃なネパールの渓谷地方に移住して来て、貧しいながらも農業と牧畜業で生計を立てるようになった。有名なエベレスト征服者テンジンも幼年時代は、チベット地方に住んでいた。チベット民族と大和民族は言語上も, 類似した容貌からも、共通の祖先から枝分かれしたことが知られている。そういう意味で、チベットやネパール(シェルパ)民族問題は、意外に我々日本人に身短かな問題なのである。