マルコム・フレーザー(現在、79歳)は、豪州の自由党出身の元首相である。
1975年から1983年まで首相として、豪州の政治改革に貢献した。最も特
筆すべき功績は、従来の「白豪主義」(白人中心文化)を捨てて、豪州を「多民
族文化国家」に切り換えたことである。ちなみに、豪州の2大政党は、保守的な
「自由党」と進歩的な「労働党」である。歴史的には、労働党と対等に対決する
ため、保守的な自由党は、更に保守的な(農村を地盤にする)国民党と連立して
政権を樹立してきた。従って、本来「保守的な」自由・国民党の連立政権のフレー
ザー首相が、このような政治改革に乗り出したことは、極めて画期的な出来事で
あると言わざるを得ない。
さて、フレーザー氏は、(1983年の総選挙で、労働党に破れ)首相を辞任し
て以後も引き続き、色々な形で、今日まで長年、豪州内外でさらなる政治改革に
活躍してきた。その1つは豪州の先住民族「アボリジナル」との歴史的な和解。
もう1つは豪州最大の難民救済活動団体「ケア 豪州」を創立して、世界中の難
民の救済のために、今なお精力的に献身している。この回想録は、フレーザー氏
が、単なる(自己満足的な)「自伝」ではなく、第三者的な立場で自分の政治的
生涯を、振り返ってみるため、原書ではジャーナリスト「マーガレット・シモンズ」を
語り手にして、両者の2年間にわたる対談を主に土台にして書かれた、客観性を
加味したユニークな伝記(約700ページ)である。
「基本的人権の擁護」が、彼の政治活動の根幹を成しているように、私には感じられる。
「性や人種や宗教の違いに基づいて、人を差別待遇してはならぬ」というのが、彼の生涯を
通じる強い信念であった。 メルボルンのずっと西方にある小さな農村で育った彼は、
メルボルンで高校生活を過ごしたのち、家庭から独立するために、戦後まもない1949年に
(クレメント・アトリーが率いる労働党政権下の)英国へ留学し、オックスフォード大学で
新しい物の考え方、特にケインズの経済論や自由主義をみっちり学んだ。 だから、この本の中で、
真の「自由主義」(リベラリズム)とは一体何かについても、、情熱的に我々に語りかけている。
1952年にオックスフォードを卒業して豪州に帰国してまもなく、彼は自由党の候補者として、
1954年の総選挙に初めて出馬する決意をした。その一連の選挙演説の1つで、彼はこう語っている。
「自由主義とは、単に共産主義や社会主義に対抗する政治思想ではなく、新しい物の考え方の1つである。
偏見や因習にとらわれず、自由に物を考え、それを実践に移そうとする姿勢である」。
翌年の総選挙前に、労働党が分裂した。漁夫の利を得た彼は25歳の若さで、見事に現職の労働党下院議員
を破って、初当選し政界入りを果たした。 折しもニュージーランドの長身で若い登山家「エドモンド・ヒラリー」が
最高峰「エベレスト」の初登頂に見事成功した直後であり、矢張り長身の若いフレーザーは、「豪州のヒラリー」
として、たちまち政界の桧舞台に立った (20年後に、彼は自由党のリーダーとして、自ら労働党政権を破って、
首相に就任する!)。
更に特筆すべきことは、フレーザーはヒラリー卿のように、東南アジアやアフリカ
の恵まれない人々の救済のために、常に骨身を惜しまぬ努力を生涯続けたことで
ある。
フレーザーは、政界から引退後、日増しに保守化する自分の党(自由党)の政策に
次第に批判的となった。特に、ジョン・ハワード政権が米国のブッシュ政権の尻
馬に乗って、イラク戦争に加担したことに反対の意を表したことは特筆すべきだ
ろう。 実は、フレーザーはベトナム戦争の末期に、国防相を担当していて、当時
のワンマンな首相(ジョン・ゴードン)と意見が噛み合わず、苦湯を飲まされた
(敢えて国防相を辞任した)経験があるからだ。 フレーザーの辞任は皮肉にも、
結局ゴードン首相の失脚をもたらし、進歩的な労働党のゴッフ・ウイットラム政権の
誕生を生み出すことになる。1973年の石油ショック後まもなく、短命に終わった
ウイットラム政権に代って、8年間の安定な政権を担当したのが、経済や外交問題に
強いフレーザー首相である。
今世紀にようやく確立した日本の保守的な2大政党(自民党や民主党)の政治家たちが、
この回想的伝記から学ぶべきことは、非常に多いと私は信じる。
なお、原書の出版社は、地元の「メルボルン大学プレス」である。
0 件のコメント:
コメントを投稿