2013年6月28日金曜日

ジュリア・ギラード小伝「英国生まれの赤毛のアン: 
豪州の首相への波乱な半生」

有名な小説「赤毛のアン」の主人公はカナダ生まれのインテリ作家だが、この小伝
に登場する赤毛の女性ジュリア・ギラードは、1961年に英国ウエールズ地方で
生まれ、4歳で両親と共に豪州のアデレードに移住したのち、2010年6月に
労働党の党首となり、豪州で初めての女性首相に就任した。それはちょうど日本で
は、民主党が初めて政権を獲得し、以後3年間、鳩山、管、野田という3人の党首が
首相の座を次々にバトンタッチして、生き延びた時期だった。 

ジュリア・ギラードは議会(下院)で過半数ギリギリの議席数を保つ労働党と数名の野党
(グリーン党や無所属の)議員を上手に操縦しながら、以後3年間を彼女独りでみごとに
全うした。しかしながら、来たる9月に総選挙を控え、選挙で敗北を懸念する労働党の
内紛から、特に(彼女に個人的な妬みを抱いている)ケビン・ラッド前首相の意地汚い
画策から、去る6月27日に党首の座をとうとう失い、首相を辞任せざるをえなくなる運命になった。

もっとも返り咲いたケビン・ラッド首相の政治生命はあと2ー3か月足らずだろう。
というのは、ギラード女史を支持してきた女性有権者の大半は、恐らくラッド首相が
率いる腐敗しきった労働党にはもはや投票しないだろうからである。ラッド首相は
選挙における惨敗の責任を取って、きっと辞職せざるをえなくなるだろう。。。

2013年6月26日水曜日

小説「酋長の娘」の執筆開始!

「PAK」を遮断するプロポリスやブルーベリー、納豆やインドカレーなど様々な健
康食材や薬草類に関する英文総説の改稿がようやく終了したので、「酋長の娘」
というタイトルの小説の執筆に、目下とりかかりつつある。酋長の娘といえば、
「私のラバさん」(南洋の土人)という昔懐かしい歌謡曲を思い出す年輩のひとも
多かろう。あるいは「ポカホンタス」というディズニー映画(アニメ)を思い出
す若者たちも相当いるだろう。

実は、この恋愛小説は、(アメリカ)インディアン(先住民)の酋長の娘(ナナ)と結婚し
ようとする珍しい日本人男性の冒険物語である。舞台は南半球上にある豪州大陸
のメルボルンである。。。 けだし、インディアンの酋長の娘と結婚した日本人
の例は、(著者がオンラインで調べた限り)まだ歴史上存在しない。渡米した日
本の有名な学者の中には、米国の女性と結婚した者が何人かいる。しかし、高峰
嬢吉も野口英世も白人の女性と結婚している。黒人女性と結婚する日本人男性は
たとえ存在してもごく稀れであろうし、いわんや(アメリカ)インディアン女性
との結婚例に関しては、全く記録がない。従って、この小説は前代未聞のストー
リー(出来事)となるだろう。

ヒロインであるナナは、メルボルンにある米国領事館に勤めているという設定で
ある。実はナナには6歳の息子(トム)がいる。トムは黒人との混血児である。
ナナはトムの父親と別れて、この息子を独りで育てている。ある日、メルボルン
の中央駅(フリンダース駅)の真ん前にある聖ポール大聖堂で、米国カルフォル
ニアからメルボルンに単身赴任してきているチャーリーという名の50代の男性
に遭遇する。

実はこの学者には(アメリカ人の)妻がカルフォルニアにいるが、メルボルンへ
いっこうにやってこないので、10年近くずっと別居したまま研究生活を続けて
いる。彼はこの妻(白人女性)と離婚すべきかどうかを思案している。チャーリー
は元来日本人だが、25年ほど昔、渡米して以来、海外でずっと研究生活を続け
ており、10年近いメルボルンの生活が大変気に入っている。「自由の天地」で
ある豪州への永住を将来の視野に入れつつある。 

 さて、ナバホ族(アメリカ先住民)の娘と結婚した日本人は未だいないらしいが、
ナバホ族の息子と結婚した日本人女性は存在する!  
以下、2012年8月5日付けの毎日新聞記事から抜粋: 
『怪物が目覚めた地』
「ウランは地下に眠る巨大な怪物だ。ヒロシマ、ナガサキ、チェルノブイリ、そしてフクシマ。誰も制御できない力で人々を苦しめる。
我々がその怪物を起こしてしまった」
 米ニューメキシコ州北西部のチャーチロック地区。先住民ナバホ族のトニー・フッドさん(62)は砂ぼこりが舞う大地を見つめ、つぶやいた。
(中略)
 ナバホ族約25万人はニューメキシコ州からアリゾナ州などにまたがる約7万平方キロに暮らす。保留地のウラン採掘は05年にナバホ自治政府によって禁じられたが、ウランの国際需要の高まりを背景に周辺で再び採掘する動きが出ている。
 住友商事とストラスモア社(カナダ)が出資する「ロカホンダ・プロジェクト」もその一つ。
(中略)
 取材を進めるうち、廃坑近くで今年1月まで暮らしていた日本人女性に出会った。秋田県出身のみゆきトゥーリーさん(38)=アルバカーキー在住。08年にナバホ族のノーマン・トゥーリーさんと結婚し、アリゾナ州ブルーギャップ地区のナバホ族保留地で生活した。(中略)
「東京の短大を出た私は都会の便利な暮らしが普通と思っていた。ウランに興味もなかった。毎日使う電気の源が世界中の先住民の土地から運ばれ、その先住民 がいまだに放射線被害に苦しんでいることを何人の日本人が知っているだろう」。みゆきさんは今、そう思う。
ノーマンさんは「ウラン鉱山会社が来て猟や農作 を営む土地を奪われ、家族やコミュニティーが引き裂かれた。我々の苦しみはフクシマの人たちの苦しみと同じ。ウランを掘り起こしたことはとても危険な行為 だった」と訴えた。


ここで「怪物」とは、米国のマンハッタン計画によりニューメキシコ州ロスアラモスの砂漠で開発された「原爆」を指す。

続く。。。。

2013年6月11日火曜日

"So Far from the Bamboo Grove" by Yoko Kawashima-Watkins (1986)

米国で30年近く前に (少年少女向けに) 出版されたこの英文原書の邦訳「竹林はるか遠く」が、ようやく今月末に、ハート出版から出版される運びとなったそうである。邦訳出版がひどく遅れた理由の一つは、韓国人の間で、この本を発禁にしようとする不穏な動きが根強かったためであるといわれている。

そこで邦訳出版の前に原書を読んで、その内容を吟味してみた。著者は1933年生まれの川島よう子さんで、敗戦直後、11歳で、母親や姉とともに北鮮から命からがら逃避行を続け、幸い日本に帰国後、苦学しながら、京都大学英文学部を卒業後、駐留軍の将校(ドナルド・ワトキンス)と結ばれ、ボストンの南にあるケープコッドに住んでいる文才のある女性である。

満鉄に勤務していた父親と共に、満州と朝鮮の国境近くの町で長らく過ごしていたこの日本人家族は、(父親や長男の留守に)敗戦直前のソ連軍の満州進駐に伴い、母子(母と2人の娘)だけで、竹林のある我が家を捨てて、母国に帰国するため、ソ連軍や北朝鮮軍からの攻撃を避けながら、38度線以南のソウルに向かって、多難な逃避行を開始した。しかしながら、女性だけの逃避行には、行く先々で様々な危険が待ち受けていた。日本政府による朝鮮半島の過酷な占領政策に対して根強い敵意を感じていた多くの朝鮮人による仕返し(虐殺や婦女暴行)が、道中所々で起こっていたからだ。幸い、この母子は危機一髪のところで、それを逃れることができた。一方、別途で北朝鮮から逃避行を続けた長男は、親切な朝鮮人家族の助けによって、命拾いをした。従って、朝鮮人全体を非難するような内容のものでは決してなく、「この原書を発禁にせよ!」という動きは、いわば「ヒステリー」現象に近いと、私自身は思う。

むしろ、この本で特に浮き彫りされていることは、母子間の深い愛情や苦難・苦境を物ともせず戦い抜く姉妹の可憐かつ逞しい姿であろう。帰国直後、京都駅で衰弱しきった母と死に別れた姉妹は、互いに助け合いながら、苦学し続けた。著者はボロをまとっまま通学、学校で学友からのいじめにも負けず、懸命に勉学し、全優(オール5)の成績を上げ、さらに懸賞論文にも合格して、その文才を磨き上げた。その涙ぐましい努力が、結局、この原書となって、世に認められたわけである。帰国後初めて迎える大みそかに、母の仏壇の前で、(自分たちがアルバイトで稼いだ僅かなお金で)ささやかな贈り物を交換し合って(12歳と17歳新年を祝う姉妹の姿に、感動せぬ読者は、恐らくいないだろう。

姉妹は母国日本にいったん引き揚げたが、成人後、結局母国を去って、米国に永住を決めた。なぜだろうか? 戦後の日本は、いわゆる「マッカーサー憲法」のおかげで、女性の基本的人権も次第に尊重され始めたが、日本社会における封建制は今だに根強く残っている。従って、より自由を求める英語堪能な女性にとっては、米国社会のほうがずっと魅力的に見えたにちがいない。30年過ごした母国を去って、欧米生活を40年以上続けている私自身には、それが痛く感じられる。

もう一つ、私がこの本から学んだことは、どもりの人に話しかける時は、努めてゆっくり話すと、相手のどもりが次第に治ってくるという事実である。著者は、父親からの忠告を実践し、(小学生ながら)学校の小遣いさんのどもりを見事に治してしまった!
私にとっても、これは大変貴重な忠告(鱗から目)である。 というのは、私の古くからの親しい知人の間にも、どもで苦労していた人が何人かいたからだ。

最後に一言。この続編「My Brother,Sister and I」(邦訳仮題:兄、姉、そして私-大陸から引き揚げてきた兄妹のその後の苦難)が1994年に出版された。続編は、ある書評によれば、フィクションめいた内容を加味しながら、シベリア抑留から6年ぶりに帰ってくる父親を迎える3人兄妹の喜怒哀楽を綴った作品である。2編合わせて、NHKなどから連続テレビ映画として、将来放映されると素晴らしいものだと、私は秘かに期待している。。。

2013年6月6日木曜日

バルト海の小国(ラトヴィア)で森林浴(森林療法)!

北欧(フィンランド、スウェーデン、ノルウェー)やバルト海に面する小国(ラトヴィア、エストニア、リトワニア)などは、その国土の半分以上が美しい(常緑樹の)森林に覆われている。今夏は、ラトヴィアの首都(リーガ)を初めて訪れ、その郊外にある「シグルダ」≪Sigulda という古い町(リーガから汽車やバスで一時間ほどでたどり着ける)に広がる美しい森と丘陵で、いわゆる森林浴と日光浴を一日中楽しむ機会を得た。シグルダ行きのバスには東洋人らしい中年の女性が独り乗り合わせていた。そこで、彼女と偶然(?)シグルダ駅から川沿いに下る長い道のりを一緒に散策する機会も得た。「日本人ですか?」と私が尋ねると、「実は中国人です」という答えが彼女から返ってきた (もっとも、女性の英語には、中国人特有の訛りが全くない。だから、欧米に長らく暮らしている人に違いない)。というわけで、手持ちの案内書「バルトの国々」(地球の歩き方シリーズ) を彼女に読ませてあげる機会を、残念ながら失ったが、代わりにガウヤ下流に広がる(杉林や白樺の生い茂る)森や小高い丘に残る中世時代の古城を、(ガイド気取りで?)丁寧に案内して回る機会を得た。

ラトヴィアは豊かな平野に恵まれ、海にも近いので、山の幸と海の幸ともに恵まれ、特に野菜、果物、酪農品、各種のパン類がとても安く手に入る。さらに交通費が日本国内に比べて半額だから、遠出が比較的しやすい。流通貨幣は今年一杯は従来通り独自の貨幣[ラット]を使用しているが、来年からEU諸国共通のユーロが使えるようになるので、買い物もいっそう便利になる。さらに、英語がどこでも通じるので、会話にも不便を全く感じさせない。従って、森林浴など[命の洗濯]を楽しむ観光客が今後ますます増えるだろう。

リーガ駅のすぐ近くに、町の台所を支える巨大な市場がある。この中央市場は、5つの巨大なドーム(かまぼこ兵舎)の中にある。20世紀初頭に建てられたもので、実は当時ラトヴィア領内にあったドイツのツェッペリン飛行船の格納庫が移築されたといわれている。毎朝7時半にオープン、午後5時に閉店する。天気の良い日には、ドームの外にも、露天の花屋や青物市場が開店し、さらに賑わいを添える。