2013年6月11日火曜日

"So Far from the Bamboo Grove" by Yoko Kawashima-Watkins (1986)

米国で30年近く前に (少年少女向けに) 出版されたこの英文原書の邦訳「竹林はるか遠く」が、ようやく今月末に、ハート出版から出版される運びとなったそうである。邦訳出版がひどく遅れた理由の一つは、韓国人の間で、この本を発禁にしようとする不穏な動きが根強かったためであるといわれている。

そこで邦訳出版の前に原書を読んで、その内容を吟味してみた。著者は1933年生まれの川島よう子さんで、敗戦直後、11歳で、母親や姉とともに北鮮から命からがら逃避行を続け、幸い日本に帰国後、苦学しながら、京都大学英文学部を卒業後、駐留軍の将校(ドナルド・ワトキンス)と結ばれ、ボストンの南にあるケープコッドに住んでいる文才のある女性である。

満鉄に勤務していた父親と共に、満州と朝鮮の国境近くの町で長らく過ごしていたこの日本人家族は、(父親や長男の留守に)敗戦直前のソ連軍の満州進駐に伴い、母子(母と2人の娘)だけで、竹林のある我が家を捨てて、母国に帰国するため、ソ連軍や北朝鮮軍からの攻撃を避けながら、38度線以南のソウルに向かって、多難な逃避行を開始した。しかしながら、女性だけの逃避行には、行く先々で様々な危険が待ち受けていた。日本政府による朝鮮半島の過酷な占領政策に対して根強い敵意を感じていた多くの朝鮮人による仕返し(虐殺や婦女暴行)が、道中所々で起こっていたからだ。幸い、この母子は危機一髪のところで、それを逃れることができた。一方、別途で北朝鮮から逃避行を続けた長男は、親切な朝鮮人家族の助けによって、命拾いをした。従って、朝鮮人全体を非難するような内容のものでは決してなく、「この原書を発禁にせよ!」という動きは、いわば「ヒステリー」現象に近いと、私自身は思う。

むしろ、この本で特に浮き彫りされていることは、母子間の深い愛情や苦難・苦境を物ともせず戦い抜く姉妹の可憐かつ逞しい姿であろう。帰国直後、京都駅で衰弱しきった母と死に別れた姉妹は、互いに助け合いながら、苦学し続けた。著者はボロをまとっまま通学、学校で学友からのいじめにも負けず、懸命に勉学し、全優(オール5)の成績を上げ、さらに懸賞論文にも合格して、その文才を磨き上げた。その涙ぐましい努力が、結局、この原書となって、世に認められたわけである。帰国後初めて迎える大みそかに、母の仏壇の前で、(自分たちがアルバイトで稼いだ僅かなお金で)ささやかな贈り物を交換し合って(12歳と17歳新年を祝う姉妹の姿に、感動せぬ読者は、恐らくいないだろう。

姉妹は母国日本にいったん引き揚げたが、成人後、結局母国を去って、米国に永住を決めた。なぜだろうか? 戦後の日本は、いわゆる「マッカーサー憲法」のおかげで、女性の基本的人権も次第に尊重され始めたが、日本社会における封建制は今だに根強く残っている。従って、より自由を求める英語堪能な女性にとっては、米国社会のほうがずっと魅力的に見えたにちがいない。30年過ごした母国を去って、欧米生活を40年以上続けている私自身には、それが痛く感じられる。

もう一つ、私がこの本から学んだことは、どもりの人に話しかける時は、努めてゆっくり話すと、相手のどもりが次第に治ってくるという事実である。著者は、父親からの忠告を実践し、(小学生ながら)学校の小遣いさんのどもりを見事に治してしまった!
私にとっても、これは大変貴重な忠告(鱗から目)である。 というのは、私の古くからの親しい知人の間にも、どもで苦労していた人が何人かいたからだ。

最後に一言。この続編「My Brother,Sister and I」(邦訳仮題:兄、姉、そして私-大陸から引き揚げてきた兄妹のその後の苦難)が1994年に出版された。続編は、ある書評によれば、フィクションめいた内容を加味しながら、シベリア抑留から6年ぶりに帰ってくる父親を迎える3人兄妹の喜怒哀楽を綴った作品である。2編合わせて、NHKなどから連続テレビ映画として、将来放映されると素晴らしいものだと、私は秘かに期待している。。。

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