米国の白人登山家グレッグ・モーテンソンはキリスト教宣教師の息子で、生後十数年、両親と共にアフリカ大陸最高峰キリマンジャロの山麓で少年時代を過ごした。
1993年に、エベレストに次ぐ最高峰「K2」に4人の登山仲間と一緒にに挑戦した。 しかしながら(遭難した仲間の一人を救出するため3昼夜を費やし、全員が体力を使い果たして)登頂を断念せざるをえなかった。消耗した体力回復のため数週間滞在(療養)していた、麓のパキスタンの (アフガニスタンへの国境に近い) 村で、予期せぬ運命が彼を待ち構えていた。
貧しい村人たちからもらった「三杯のお茶」に象徴される暖かいもてなしに報いるために、彼は米国に帰国する際、学校に行く機会がないこの村の学齢期の子供たちのために、将来、村に最初の学校を建てることを約束する。しかしながら、その口約束を守ることは彼にとって、容易なことではなかった。彼は財産家どころか、実は(「K2」登山で手持ちを使い果たし)ほとんど一文なしになっていたからだ。 彼はパートタイムの看護士をしながら、日々を細々と暮らしていたに過ぎなかった。
そこで、彼は試行錯誤の末、(ヒマラヤ登山家仲間)スイス人の実業家でマイクロチップス開発のパイオニアであるジーン・ヘルニ(1924ー1997)の助けを借りて、「中央アジア研究所」という財団を設立して、パキスタンとアフガニスタンの国境に接する貧しい村々に学校を建てる基金を集める活動に専念し始めた。そして、以後10年以上の間に、特に(イスラム過激派「タリバン」の影響で)学校教育から見放されている女の子たちのために、50以上の学校をこの山岳地方に建設した。
1953年に(シェルパ族のテンジンと共に)エベレスト登頂に成功後、山麓の貧しいネパールの村々に無数の新しい学校や病院を建てた故エドモント・ヒラリー卿(1919ー2008)の偉業に、いわば匹敵するものであった。「K2」登頂という個人的な夢には破れたが、それに負げず、(社会的により貴重な)新たな使命を自分の人生に見つけ出し、そのために懸命に闘い続け、ついに成功した感動的な実話ドラマである。
2006年に出版されたこの英文原書は目下、ニューヨークタイムズ紙のベストセラー・リスト (ノンフィクション部門) のトップになっている。この本の売り上げの一部は、「中央アジア財団」の活動費に当てられるそうだ。 もし、近い将来、邦訳の機会が訪れれば誠に幸いである。
http://en.wikipedia.org/wiki/Three_Cups_of_Tea
0 件のコメント:
コメントを投稿