2008年5月6日火曜日

頂上からの展望 (Sir Edmund Hillary)

2008年正月明けに、ニュージーランド(NZ)の誇る登山家ヒラリー卿が米寿 (88歳)を全うして、この世を去った。彼の死を悼んで、6時間にもわたるテレ ビ特集がNZ中で放映されたと、地元(北島)オークランド近郊に住む友人(養蜂家) から聞いた。実は少年青年時代、ヒラリー卿は父や兄を助けて(家業である)養蜂業 に従事していた。 そのうちに、山歩きが好きになり、南島にあるニュージーランド最高峰のクック 山(海抜3754メートル、槍ヶ岳のように切り立った岩山)の冬山登山に 成功した。以後、登山が病み付きになった。数年後の1953年の春に、英国の エベレスト登山隊にスカウトされる。

1955年に出版された彼の英文自伝「High Adventure」 (内容は、彼の前半生:エベレスト登頂まで) で、ネパール出身のシェ ルパ、テンジン・ノーゲイと一緒に史上初めて、世界最高峰エベレストをいかに 征服したかが、彼自身の手で描かれている。「ヒラリー自伝」というタイトルで 1977年に、その邦訳が出ている。訳者は、同年「K2」征服に成功した日本 の遠征隊長 吉沢 一郎。

ヒラリー卿の偉大さはむしろ、テンジンとの友情から生まれた、エベレスト征服 以後の彼の後半生をかけた慈善事業、特に貧しいネパールのシェルパ山岳民族の 福祉向上をめざして「ヒマラヤ協会」を設立し、病院や学校や橋の建設をしたり、 エベレストや他のヒマラヤの山々に押し寄せる登山観光客による環境汚染をでき るだけ防止するための活動にあるだろう。1995年に出版された第2の英文自 伝「View from the Summit」は、「エベレスト」以後に始めた彼の新たなる挑戦 を綴っている。この活動の最中、彼の家族が悲劇に見舞われる。1975年に彼 の妻と長女が飛行機事故で、ネパールで死亡する。彼は生き残った長男ピーター (エベレスト登山家)と共に、悲劇に負げず活動を続ける。

世界七大陸最高峰の征服を成し遂げた若い日本のアルピニスト、野口 健は、 ヒラリー卿の活動に感銘/共鳴して、富士山やエベレストに堆積しつつある 「ゴミの山」の清掃活動に活躍している (ヒラリー卿の)「高弟」の一人である。 「山を愛する」とは一体何か、「地上最高の視点」から観たヒラリー卿の英知を 我々読者がこの本から学ぶことができれば、誠に幸いである。「地球温暖化 (汚染)」防止がまさに緊急課題になっている今世紀の「必読の書」といえるだろう。 残念ながら、欧米でベストセラーになったこの英文原書の邦訳は、なぜか日本では まだ出版されていない。

最後に、ヒラリー卿の魂が天上で(20年ほど前に他界した)無二の親友テンジ ンの魂に再会し、旧交を再び暖められることを、我々アルピニストは心から祈っ ている。

http://en.wikipedia.org/wiki/Edmund_Hillary

晩年はニュージーランドで養蜂業を営む。2008年1月11日に心臓発作により逝去。1月22日にオークランドにて国葬が行われた。

息子ピーター・ヒラリー2002年に、エベレスト登頂50周年を記念してテンジン・ノルゲイの孫、タシ・テンジンとともにエベレストに登頂に成功している。

このタシとその奥さんジュディーもベテランのヒマラヤ登山家で、豪州シドニーに永住しながら、あるヒマラヤ登山旅行会社を経営している。数年前、この夫妻が有名な祖父テンジンとシェルパ仲間のエベレスト登山史を出版した。その邦訳『テンジン、エベレスト登頂とシェルパ英雄伝』を我々が昌文社から、2003年に出版する機会を得た。海外からやって来た登山家たちではなく、地元の「シェルパ山岳民族」の目から眺めたエベレスト登山観が描かれている点で、ユニークな作品である。

さて最近、北京五輪の聖火リレー妨害や開会式ボイコット運動を巡って、世界中のメディアの話題になっている中国領内にある「チベット民族の独立あるいは自決」(自らの伝統文化と原始仏教の維持をめざす自治政府の確立)問題は、ネパールのシェルパ民族と密接な関係がある。実は、シェルパ民族は、元々チベット地方に住んでいた山岳仏教徒(チベット)民族であるが、数世紀前に農奴制度や貧困餓死から逃れるために国境のチベット・ネパール高原を越えて、比較的肥沃なネパールの渓谷地方に移住して来て、貧しいながらも農業と牧畜業で生計を立てるようになった。有名なエベレスト征服者テンジンも幼年時代は、チベット地方に住んでいた。チベット民族と大和民族は言語上も, 類似した容貌からも、共通の祖先から枝分かれしたことが知られている。そういう意味で、チベットやネパール(シェルパ)民族問題は、意外に我々日本人に身短かな問題なのである。

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