2008年11月21日金曜日

"Barack Obama: Son of Promise, Child of Hope"
(Simon & Schuster)

アメリカでは最近、黒人系の若いエネルギッシュな青年バラク・オバマが新し
い大統領に当選して、長い「イラク戦争」や迫リつつある「経済危機」からよう
やく脱出できる希望に溢れている。カリスマ的なオバマは、特に若い世代の間に
絶大の人気がある。最近、オバマ大統領に関する伝記が3冊もノンフィクション
部門 (ペーパーバック)のベストセラーのトップを占めている。さて、子供向けの
本でも、小学生向け48ページの絵本「バラク・オバマ小伝」(サイモン&シュス
ター出版、2008年)がトップに踊り出た。絵本の4分の3がさし絵で占めら
れ、とても楽しく読める。

豪州メルボルンに長らく住む友人(奥さんが日本人、ご主人が豪州人)の子供た
ち(6歳の弟マックスと12歳の姉マーサ)に読んでもらおうと、クリスマスプ
レゼントを兼ねて、買い求めた。 マーサには多分、200ページ余りの小伝
「YES WE CAN」(もちろん、可能です!) の方がずっと内容があって、よかろう。
米国では目下、この2冊が子供向けの伝記本の1、2位を占めている。

この国の子供たちが皆んな、遠い将来、オバマのような立派な大統領になれる
チャンスを夢見ているようだ (さて、日本では「総理大臣」の伝記が子供向けの
伝記のトップになるなど、とても想像がつかない! なぜなのだろうか?)。

実はオバマ大統領は、ケニア人の父親と米国の白人女性(母親)との間に生まれた
混血児(ハーフ)なのである。インドネシアやハワイの学校で少年時代を過ごすという、
珍しい経験をしている。だから、白人ばかりではなく、黒人を初め有色人種の立場、
海外に住む人々の立場も良く理解できる。従って、米国の国民ばかりではなく、
日本を含めて世界中の人々から、大変期待されている。 特に、父親の故国「ケニア」
の貧しい人々からは、神様のように尊敬されている。

この本はどうやら、彼のベストセラー自伝「マイ・ドリーム」に基づいて、童話
作家ニッキー・グリムスによリ子供向けに要約され、画家ブライヤン・コリアに
よる色とりどりの楽しい挿絵をふんだんに入れたものである。

Garen Thomas 著の小伝「YES WE CAN」は、主にオバマの自伝「Dreams from My Father」
とDavid Mandell 著の評伝「Obama: From Promise to Power 」という大人向けの本を
うまくまとめて、小中学生向きにアレンジした傑作である。私のような還暦を過ぎた大人が読んでも大変面白い。
一日かけずに一気に読める。

最後に、一言欲を言わせてもらえば、転載の写真(全部白黒!)の一部をカラー写
真にしてくれると子供も大人もずっと楽しめると私は思う(せめて、有色人種の我々
日本人読者向けの「邦訳」ではそうして欲しい!)。

YES WE CAN
オバマ小伝「もちろん、可能です!」(ギャレン・トマス著)

13章: 出会い

シカゴで4年間過ごした後、1988年にバラックは、ボストンにあるハーバー
ド大学法学部の大学院に進学した。彼は既に27歳で、他の大部分の院生より数
年年上だった。しかしながら、彼がクラスメートの中でずば抜けていたのは、年
のせいだけではなかった。もちろん、彼は年上相応に円熟していたが、彼は極め
て規律正しく、かつ勉学に専念していたからだ。最初の一年、彼は図書館で毎日
何時間も自習をした。彼は再び大学構内での人種差別制度に反対する運動にも参
加した。大学の有名な法学雑誌、「ハーバード人権と自由に関するレビュー」に
いくつかの論説を発表した。この雑誌に論文を発表するのは、すばらしい業績な
のである。

彼は黒人法学部学生協会の年会の晩餐の席でも講演をやった。その席で、彼のよ
うに機会に恵まれた者たちは、恩返しに、それほど恵まれなかった多くの人々の
助けになってやる必要があることを強調した。彼は教授会にもっと有色人種出身
の教師が採用されるべきであると主張する人々の意見に参同した。

最初の一年間の後、夏休みをシカゴに戻って過ごし、シドリー・オースチンとい
う法律事務所に見習いとして働いた。ミシェル・ロビンソンはそこの弁護士だっ
た。そして、バラクの指導を仰せつかった。彼はミシェルに会うやすっかり彼女が気
に入ってしまった。ミシェルの方は、バラクが事務所に姿を現す前から他の職員
が彼を高く評価していることに懸念を感じていた。彼女は、バラクは生意気か、
あるいは実直に働くよりはむしろ同僚におべっかを使って昇進しようとする人間
ではないかと、予想していた。それに、自分の部下とデートをするのは職場の規
律を乱すものだと思っていた。さらに、彼女はこの法律事務所で働くいわゆる
「黒一点」(たった一人の黒人)だった。周囲から「黒人はやっぱり黒人と一緒
になってしまうな」と思われるのを、彼女は嫌った。バラクにも似かよった経験
が昔あった。(インドネシアの学校から転校してきたばかりのころ)ハワイのプ
ナハウ・アカデミー(小学校)で、全校にたった一人の黒人の女の子と遊んで、
仲間からからかわれたことがあった。しかし、今はどんな人種の相手とも、自分
が気に入った相手とデートするようになっていた。そして、バラクはミシェルを
デートの相手に選んだ。

ミシェルの家庭はシカゴのサウスサイドにある黒人が大多数を占める地域出身だっ
た。子供のころ、ミシェルと兄のクレイグは、両方とも優等生で(プリンストン
大学卒)、優秀なバスケットボール選手でもあった(クレイグは、後に大学バス
ケットボールのスターになり、現在オレゴン州立大学バスケットボール部のヘッ
ドコーチ)。彼らの家庭生活は比較的安定だったが、父親のフレイザーは身体に
障害があって、不自由な生活を送っていた。ミシェルは一所懸命勉強して、一家
のために苦労してくれた父親が誇れるような人間になろうと努めた。兄と同様、
プリンストン大学を卒業してから、ハーバード大学法学部の大学院に進学した
(年下だが、バラクの「先輩」に当たる)。

ミシェルは用心深く、バラクとのデートに彼女のガールフレンドも連れて来た。
しかし、バラクはミシェルにしか興味を示さなかった。やがて、ミシェルは彼と
バスキン・ロビンスというアイスクリーム・ショップでデートすることに同意した。
チョコレートアイスクリームを食べながら、2人は次第に親密になっていった。
ある日、バラクはサウスサイドにある教会の地下で自分が主催している成人学校
にミシェルを連れて来て、そこで、主に母子家庭の母親たちを対象に、白人と有
色人種(特に黒人)との間にあるギャップをいかになくしたらよいか、その方法
について話をした。その話を聞いて、ミシェルは彼にすっかり惚れてしまった。
以来2人は、婚約状態になった。

バラクとミシェルは、彼がハーバード大学に戻ってからも、デートを続けた。バ
ラクは大学院で、残る2年間を通じて、彼の巧みな雄弁と説得力で、自分とは意
見が違う仲間ともじっくり話し合って、(全員が同意できるような)妥協案を案
出する才能をしばしば発揮した。こうして、彼はハーバード法学レビューの編集
員に抜擢された。それだけではない! 1990年には、進歩派の仲間たちが彼
を、その雑誌の編集長選の有力な立候補者に担ぎ上げることにも成功した。当時、
大学構内では、第一次湾岸(イラク)戦争などをきっかけに、リベラル(進歩)
派と保守派との間で、かなり激しい意見の対立が起こっていた。進歩派とは、男
女同権(平等)を実現したり、社会から人種差別を撤廃したり、失業者や貧乏人
たちを救済したり、自然や環境を保護したり、戦争をやめさせたりするために、
政府がもっと積極的に協力すべきであるというような進歩的な意見を持つ人々を
さす。他方、保守派とは、因習的な従来の制度に満足し、社会の変化(改善や改
革)に抵抗、あるいはそれを妨害するなど、いわゆる旧態依然とした物の考え方
をする人々をさす。バラクは明らかに進歩的な考え方の持ち主だった。しかしな
がら、彼は心の広い人物だった。彼は常に、各々の問題について、両者の意見を
じっくり聞いた上で、自分自信の結論を出す習慣にしている。だから、保守的な
意見の持ち主も、バラクのこの柔軟な性格が好きだった。そこで、法学レビュー
の編集長選挙中、これらの保守派は、自分たちの候補者が勝ち目がないと悟ると、
デビッド・ゴールドとの決戦投票でバラクを支持した。というのは、バラクが保
守派の意見に同意しないにしも、彼らの意見を少なくとも考慮してくれることを
知っていたからだ。

こうして、レビューの編集長に当選したバラクは、就任早々困難な問題に一つ直
面した。75人という大所帯の編集部内で、わずか数名にしか、(編集部をやり
くりする)特別の役職を与えることができないからだった。彼は黒人、女性、あ
るいは他のマイノリチー(小数派)がそれまで長い間、このような役職を与えら
れなかったという歴史を鑑みて、できれば彼らに、優先的に役職をあげたかった。
しかしながら、白人だからという理由で、適材(優秀な人材)を役職から除外す
ることもできなかった。白人に対する差別扱いになるからだ。彼は色々熟慮した
末、最終的には、多彩なグループにそれぞれ、役職を分配することにした。しか
しながら。その決断は、多くの黒人から批判(苦情)をこうむることになった。
彼らは「過去の穴埋め」を期待していたからだ。彼らの失望にもかかわらず、バ
ラク指導下のレビューはスムーズに作動し、人々は彼を公平かつ老練な編集長と
して讃えた。

ここまで読んで、不意に私の脳裏にひらめいたある夢想があった。日本の
皇太子夫妻はほぼオバマ夫妻の年頃であると。もし、この皇太子夫妻が皇居
(正確には、東宮御所)を後にして、敢えて「民間人」となって、バラクやミシェル
のように、その優れた才覚を発揮したら、日本はどんなに良くなるだろうかと。
もちろん、夫妻とも皇室では「進歩派」であると私は解釈しての話だが。。。
少なくとも、この子供向けの本(英文原書でも邦訳でも)を、ぜひ夫妻に一度だけ
読んでもらいたいと思った。 YES WE CAN!


続く

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