2008年11月17日月曜日

「金儲け」のみが目当ての悪書:
「東大合格生のノートはかならず美しい」 (文藝春秋)

結論:
私の結論をまず言わせてもらえば、(目下、巷でバカみたいに売れている)この
本は「お金を払ってまで、読むほどの価値はない!」

総論:
私がここで、若い高校生たちに特にお勧めしたいことは、他人の真似をせず、自
分に最も適した記憶のしかた、メモの取りかたを含めた「頭の整理方法」を自ら
編み出す努力をしてもらいたい、ということである。東大に入学するだけが人生
ではない! 我々の人生はもっとずっと「多彩」であるべきだ。そういう多彩さ
に「美しさ」を見つけてほしい。

(「金儲け目当て」の本や業者の宣伝に盲従して)軍隊の兵士のように皆んな同
じ色の制服を着て、号令一下、同じ「コクヨ」のノートを使って、青春の貴重な
時間を過ごすのは、戦争中の「学徒出陣」を連想させ、はなはだ「醜い」と(欧
米で自由を長らく謳歌してきた)私には思えてならない! 

ノートとは「覚え書き」である。忘れないで覚えておきたいことをちょっと書き
残すメモ帳である。従って、その内容や書き方は人それぞれである。少なくとも
自分で読めれば十分で、「美しい」必要は全くない。東大生のノートが「美しい」
という(著者の)評価は、どんな基準に基づいているのか定かでないが、自分の
ノートをみて、美しいと思ったことは一度もない。だから、この本の表題は「根
本的に間違っている!」 もちろん、私は他人のノートなど覗いたことはない。
(自分に)役に立つはずがないからだ。

各論: 
高校でも大学でもそうだが、教師は大部分、指定された教科書に基づいて、授業
をする。従って、教科書を予習しておけば、教師の喋っていることは大部分、教
科書に書いてあることがすぐ分かる。従って、授業中、特にメモすることはない
のだ。例外は英語とドイツ語(第2外国語)の授業にサイドリーダー(副読本)
を使って、邦訳をやらされる場合である。私は自分で単語帳を作って、自宅で予
習のときに、新しく出会った単語を辞書で調べて、その意味を書き留めておく。
この2冊の単語帳が私の唯一のノートだった。お世辞にも美しい筆跡ではないが、
自分で読める字だから、すこぶる重宝した。そのおかげで、欧米で30余年も生
活しているが、言葉にはほとんど不自由しない。

国際学会で、講演者のしゃべっている内容を一々克明にメモしている学者連中を
良く見かける。私は学会でメモをとることは非常に稀れだ。メモしたいことがあ
れば、講演要旨の余白にちょっと、2、3単語を書き残せば十分である。私の
「モットー」は、人間というものは、大事なことはメモしなくても覚えていると
いうことだ。例えば、3食をうっかり忘れることは、他によっぽど興奮すること
がない限り、一生に何度も起こるものではない。そして、もし仮に、忘れたとし
たら、多分そんなに大事なことではないのだ。だから、私はもはや、ノートなど
一冊も持っていない。

私見:
事実は恐らく「東大生のノートにはきちんと整理されたものが多い」。ノートと
はその持主の頭の状態を良く反映するからだ。それを「かならず美しい」と主張
するのは、非科学的であるばかりでなく、歪曲もはなはだしい。売らんがための
ガメツイ(ウソの)広告に過ぎない! もう1つ警告しておくが、頭の整理され
てない人間がノートの(美しい)書き方だけを真似しても、東大入試には合格で
きないだろう。 頭に益々混乱が生じて、どの大学入試にも失敗するかもしれない。。。

そんなに東大に合格したかったら、すばらしい解決法が1つある。日本全国にあ
る大学を全部「東大」と改名し、全国一律の入試をして(合格者の最低点の順番
に)東大1、 東大2、 東大3、。。。東大365などと番号をつける。
成績がトップの3500名(定員)をまず東大1に割り当て、次の成績の者は東
大2の定員(例えば、3000名)以内で入学を許可される。
そうすると、日本全国の大学生が全員、あこがれの「東大生」になれる。。。 
どうだろうか? 美しい「コクヨ」のノートなど全く不要だ!

あるいは(理系の「ノーベル受賞者」が抜群に多い)京大にも敬意を表して、理
系(京大)と文系(東大)は別個の入試をし、京大1、2、3。。。
東大1、2、3。。。 というように全国の大学を2分するのもよいかもしれない。
多分、芸術家(音楽家、画家など)志望の学生には、芸大1、2、3 も必要だろう。。。

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