2008年12月28日日曜日

近刊「知的障害の娘の母: パール・バック」(文芸社)

知的障害の娘と歩む波乱と挑戦に溢れる人生

不朽の名作「大地」(1931年出版)で有名なノーベル賞作家パール・バック
女史(1892ー1973)に、一生涯知的障害に苦しむたった独りの実娘キャ
ロル(1920ー1992)がいたことが、世に初めて知られるようになったの
は、女史が1950年に、「母よ嘆くなかれ」という娘に関する前半生(生い立
ち)をつづるノンフィクションを敢えて出版して以来のことである。その時、娘
キャロルは既に30歳に達していたが、彼女の精神年令や知能指数が10歳以上
を越えることは一生ないことが明らかになっていた。女史はそういう不孝な娘や
息子を抱えている無数の親と、その耐えがたい悲しみや苦しみを分かち合うため
に、その告白書を勇気をもって出版し、世界中をあっと驚かせた。同じような娘
を持つケネディー(JFK)大統領の母ローズやドゴール大統領夫人などが、こ
のキャロルに関する本を読んで、とても感動して大いに涙を流した。

女史はその前半生(40年近く)をアメリカ人のキリスト教伝道師の娘として、
中国大陸で過ごし、キャロルが誕生したのも、中国の過疎地の病院においてだっ
た。不幸にして、(後に明らかになったことだが) 女史は子宮癌を患い、恐らくそ
の病因であるウイルス (HSV)の感染によって、子宮中の娘の頭脳の発達に障
害、PKU(フェニルケトン尿症、フェニルアラニン中毒) が生じた。そういう障
害名すら知られていなかった当時、その障害の治療は不可能だった (今日では、
PKUの診断は容易になり、生後3ヵ月までに治療を開始し、血中フェニルアラ
ニン濃度を正常近くに維持しさえすれば、大事には至ることはない!)。

この娘の不幸に、もう1つの不幸が重なった。女史の夫ロッシングは農業経済学者
で、中国の農業改革に献身する伝道師だったが、知的障害を持つ娘の養育に無関
心だった。そこで、当時、主婦で収入源をもたぬ女史は、娘を一生、米国の特殊
施設 (学校)で世話してもらうために必要な多額の費用を自分で稼ぐために、ある
小説を書き始めた。それが中国の貧農の生活を描いたユニークな名作「大地」だっ
た。幸いにして、その小説がピューリッツァー賞に輝き、世界中のベストセラー
になり、さらに映画化され、1938年には米国女性としては初めてのノーベル
文学賞に輝いた。こうして、娘の不幸が「幸い」に転じた稀れな例となった。

女史のこのような悲しみと苦悩を越えた勇気と波乱に溢れる生涯を、精神障害を
扱う専門医/精神病理学者という立場から、著者(三重大学名誉教授、松坂清俊)
が詳しく分析したのが、このユニークな近刊「知的障害の娘の母: パール・バッ
ク」である。この著者が長崎県島原半島出身であるのは、全くの偶然ではなかろ
う。というのは、パール・バック女史の家族が1927年に(中国での内戦を避
けるため)当地に半年ほど疎開していたことが知られているからだ。この疎開時
代の体験に基づいて、女史は戦後まもなく、子供向けの短篇小説「大津波」を出
版し、1960年には、その映画化のために日米のロケ隊とともに、懐かしい島
原半島に数カ月滞在している。

女史のユニークな人生に深い関心のある方には、数年前に出版された「パール・
バック伝: この大地から差別をなくすために」(上下巻)も併せて、読まれる
ことを強くお勧めしたい。

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