「例外のない法則はない」という言葉が私は大好きだ。権威に盲従することを好まぬ私の強い気性からだ。さて、1950年代にワトソンとクリックが遺伝子DNAのらせん構造解析から、「DNAがRNAを作り(転写)、さらにRNAが蛋白質を作る(翻訳)」といういわゆる分子生物学の「セントラル・ドグマ」を提唱、確立した。
しかしながら、1970頃に、発癌性のRNAウイルス(レトロウイルス)を研究していた2人の学者、デビッド・ボルチモアとホワード・テミンが、この法則に従わない現象を発見した。これらの発癌性ウイルスは逆に、自分のRNAを鋳型にして、それと相補的なDNAを、宿主細胞内で、自らの特殊な酵素を使って、転写する機能を持つことを見つけた。そして、この不思議な酵素を「逆転写酵素」と名付けた。つまり、「RNAがDNAを作る」という例外をウイルスの世界で発見して、従来の世界観を、逆転したわけである。5年後に、彼らのこの逆転劇に対して、ノーベル賞が与えられた。
実は、この逆転劇は、人々の「物の考え方」を一変したばかりではなく、1980年代に、新しい革命的なテクノロジー(組み替え工学)を、分子生物学の世界に産み出した。「逆転写酵素」を使って、自由自在に遺伝子をクローンできるようになったばかりではなく、その遺伝子をある種から他の種に移植することもできるようになった。原理的には、この方法によって、癌などの難病の遺伝子療法が遠い将来、可能になるわけだ。例えば、発癌の原因の1つは、正常細胞にあった抗癌遺伝子が変異によって、機能を失うことによる。従って、癌細胞に正常な抗癌遺伝子を挿入し補ってやれば、癌は治るはずである。
しかしながら、今日の技術レベルでは、患者の体内に巣くう全ての癌細胞に、抗癌遺伝子を効率よく挿入することが、まだ難しい。そこで、この抗癌遺伝子産物(蛋白)の機能と良く似た薬理作用を持つ化合物を見つけ、制癌剤として開発することが、我々「癌学者」の目下の緊急な課題になっている。我々が開発中の一連のPAK遮断剤は、抗癌蛋白「メルリン」がPAKという発癌性酵素 (キナーゼ) を阻害するという、最近の発見に基づいて進められているものである。合成物質ばかりではなく、天然物 (例えば、抗生物質FK228、赤ブドウ、蜜蜂の作るプロポリスなど) にも、PAKを遮断する作用があるという事実は、大変面白い。
さて、ボルチモアの英知は、科学の分野のみに留まらない。彼は「男女共生」の情熱的な推進者でもあり、「逆転写酵素」の発見にも一部貢献した同僚で、中国出身のアリスを生涯の伴侶として選んだ。さらに、米国政府が戦後始めた2つのいわゆる「出口なき泥沼戦争」、ベトナム戦争とイラク戦争、の継続に強く反対している。数年前に出版されたボルチモアに関する評伝(「Ahead of the Curve」) から、多くの若い読者たちが、権威や先入観に捕らわれぬ彼の「自由な発想法」を会得できれば、誠に幸いである。
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