2008年4月21日月曜日

「オバマ: ホワイトハウスへの道」 (Obama)

バラク・オバマの自伝(回顧録)が既に2冊出版され、全米でベストセラーになっているが、この本 (Obama: from Promise to Power) by David Mendell (2007) は、カリスマ的な次期大統領候補「オバマ」に関する初の(客観的)評伝。ダイヤモンド社は、オバマの最初の自伝(邦訳:マイ・ドリーム、政治家になる前の半生記)を絶好のチャンス(年末)に出版して、「先見の明」を示した。この評伝の邦訳を、もし (大統領選直後の) 来たる年末に出版できれば、タイミングとして最高であろう。

米国の心ある市民たちは、ジョージ・ブッシュ政権による8年にわたる暗黒時代から、できるだけ早く抜け出して、誇りべき国の再建を切望している。そのためには、全く新しいタイプの指導者の出現が待ち望まれている。そこに彗星(あるいは救世主)のごとく忽然と米国の政界に登場してきたのが、バラク・オバマという人物である。白人の母とケニア出身の父を持つオバマは、ハワイ生まれだが、 少年時代をインドネシアで過ごすという異例の体験を持つ。父親はハーバード大学で学ぶが貧困のため、妻子を米国に残して、ケニアに帰国する。従って、オバマは母や母方の祖母のもとで、青春時代を過ごすことになる。のちにハーバード大学で法律を勉強し、弁護士として、シカゴの貧民窟に住む黒人たちの福祉向上のために働き始める。そして、彼らを代表して、イリノイ州の下院議員に当選して、政界で活躍し始める。オバマが脚光を浴び始めたのは、2002年末にイラク戦争に反対して、抗議運動の先頭に立った頃からである。

2004年の夏には、民主党の大統領候補にジョン・ケリーを選出する際、基調演説を引き受け、「米国市民全体の団結」を呼びかけ、若者やインテリ層から注目を集め、2008年の大統領候補として、担ぎ上げられ始めた。そして、その踏み台として、2004年末の総選挙では、イリノイ州選出の上院議員として、初当選を果たす。2007年の2月には、とうとう大統領選に出馬を決心する。カリスマ的な雄弁に物を言わせ、丸1年後の2008年の2月には、長らく本命と目されていたヒラリー・クリントン上院議員を押し退けて、とうとう民主党の大統領候補のトップに踊り出るという快挙を成し遂げる。1960年代に活躍したケネディー兄弟(ジャックとロバート)の再来と目されている。2008年の11月における、共和党候補ジョン・マケインとの一騎討が大いに期待されている。

面白いことにオバマ家は夫妻共、名門ハーバード大学出の弁護士、クリントン家は夫妻共、名門エール大学出の弁護士。従って、オバマ家とクリントン家が仲良く「大統領ー副大統領」チームを組めば、海軍兵学校卒の老軍人であるマケイン候補など一網打尽となるだろう。

オバマ自身の言葉によれば、彼の大志の出どころは、(他界した)父親の期待に答えるばかりではなく、父親の犯した失敗を繰り返すまいとする努力にあると。

貧困や差別に苦しむ多くの人々の生活をより良くするために、自分の素質をフルに生かして 社会奉仕をすることが、彼の生涯の夢である。

この評伝は、 彼を巡る様々な環境下 (ハワイ、インドネシア、ロサンゼルス、ニューヨーク、ボストン、シカゴ、ワシントン) で、オバマが有色人種として初の大統領になるべき優れた素質を、いかに築き上げてきたか、その異例な知的成長の軌跡を、我々読者に雄弁に語りかけてくれる。

目次
1。 政界のスター誕生
2。 母親の夢
3。 ハワイ生まれの素朴な少年「バリー」
4。 コロンビア大学時代
5。 シカゴで社会奉仕
6。 ハーバード大学の優等生「バラク」
7。 ミシェルとの結婚
8。 州議会にデビュー
9。 大失敗
10。 作戦の立て直し
11。 戦闘準備
12。 イラク戦争 (侵略) に反対
13。 上院挑戦への第一歩
14。 政治的信条と女性ファン
15。 民主党内のライバル
16。 テレビ広告 (IT) の威力
17。 最初のハードルを突破
18。 中道左派路線
19。 共和党候補ライアンとの対決
20。 民主党大会での大飛躍
21。 上院議員に初当選
22。 大統領選への出馬準備
23。 南ア訪問
24。 ケニア訪問
25。 父親の故郷
26。 ホワイトハウスへの道

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