2008年4月26日土曜日

人格の尺度 (Sidney Poitier)

米国の黒人俳優の中で、史上初めてアカデミー賞を獲得したシドニー・ポアチエのベストセラー自伝が数年前に出版された。英文原書のタイトルは、「The Measure of a Man」。彼の主演映画で、私が最も感銘したのは、1963年の名作「野のユリ」(Lilies of the Field) だった。戦後、ドイツから米国に移民してきた修道院の尼さんたちを助ける、歌のとても好きな(ホームレスの)青年役を演ずる。翌年、彼はこのすばらしい演技で最優秀男優賞 (オスカー) をもらった。この自伝では、自分自身の人生を振り返りながら、単に映画俳優としてばかりではなく、人間として、特に息子として、夫として、あるいは父親として、自分が一体どれだけの価値があったかを、厳しく自己評価しつつ、自分の生き甲斐を率直に、我々に語りかけている。

ポアチエは、少年時代を、生地のバハマ諸島のキャット (猫) 島で、両親と共に、貧しいが平穏な日々を過ごした。この島には、電灯や水道などのいわゆる「文明の力」がほとんどなかった。トマト栽培が主な産業だった。ところが、1936年になって、米国大陸のフロリダ州へのトマトの輸出が禁止されたため、島の経済はとうとう破綻をきたした。そこで、15歳になって、彼は親元を離れ、フロリダ州マイアミに単身(裸一貫で)移住し、白人世界に初めて入り、数々の波乱豊かな冒険生活を始める。兵役志願、ホテルのウエイターなどで苦い経験を経たのち、結局黒人差別の少ないニューヨーク市のハーレム(貧民窟)にある黒人劇場に、俳優になる訓練を受け始める。1955年に、グレン・フォードと共演で、「黒板ジャングル」という映画に初デビューし、正義感の強い若き黒人教師の役を熱演する。以来、正義感、情熱、思いやりのある人物が、彼の好きな役柄になる。  

さて、40年近く映画界ですばらしい経歴を積んだのち、ポアチエの人生にも危機がやってきた。1993年、70歳にさしかかる頃、前立腺癌という診断を受けた。しかしながら、幸いにも比較的早期だったので、手術で難を逃れた。その後数年間、癌の再発の可能性を懸念し続けていたが、幸い、再発の兆候はみられず、ほっと安心して、自伝の執筆を始めたわけである。

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1943年頃、ポアチエが16歳そこそこでマイアミに移住してきて間もなく、身の毛がよ立つような恐ろしい体験をしたそうだ。

ある日の夜遅く、私は白人の住む地区を訪れる羽目に陥った。その翌日、旅行に出かける予定で背広のドライクリーニングを頼んでおいたが、最寄りの(黒人住民地区にある)クリーニング屋にはまだ届いていなかった。そこで、バスで町はずれのクリーニング工場まで取りに出かけざるをえなかった。ところがバス停に戻って来ると、最終便が既に出たあとだった。そこで、黒人地区方面に向かう車を見つけて、できればヒッチハイクで帰宅する積りだった。もちろん黒人がドライバーの車だけを探し始めた。最初に停まってくれた車は、なんと私服のパトカーだった。ところが不幸にして、乗っていたのはなんと白人の運ちゃんだった。警官が車の窓を開けて、私にこう指図した。「おいガキ、そこの路地に入れ!」 。パトカーが私を路地に先導した。

路地には人影が全くなかった。「これはやばい」と私はとっさに判断した。そこで何が起ころうと目撃者が誰もいない。パトカーの窓からピストルの銃口が私の頭をピタリと狙っているのに気づいた。パトカーから2人の警官の会話が聞こえてきた。
「奴をどう料理してやろうか?」
「こんな所で一体何をしているのか、調べてみようじゃないか」
「奴をここで射殺してやろうか?」
会話の内容が穏やかではない! 私は背筋に戦慄を感じると同時に、弱い者苛めの警官たちに対して、かっと怒りを禁じえなかった。私は状況を察して、出来るだけ冷静に、自分がなぜこんな所に来たかを説明した。

「よしわかった。それなら帰宅してもいいが、ここからずっと歩いて帰るんだ。ただし、一度でも後ろを振り返ってみろ、頭にズドンだぞ! 覚悟はいいか?」
「了解しました」
「それなら、さっさと歩け! 直ぐ後ろから車で尾行してやる」
私はすばやく路地から抜け出して、バス道路を歩き始めた。家まで延々50ブロックもある道のりを、決して後ろを振り向かずに。。。

頭を前方に真っ直ぐ固定して、目だけを左右にキョロキョロ動かしながら、通りの店の窓ガラスに写るパトカーの影を時々チェックしながら。。。「戦慄」の尾行は、私が親戚と一緒に住む家がある(黒人地区の)路地に入るまで、たっぷり50ブロック間断なく続いた。そして、私が最後に「救い」の角を曲がったとたん、パトカーがすっと姿を消した。

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